大阪難読駅名”御幣島”の読み方は?語源から由来と歴史を見る

大阪にはいくつもの難読地名や駅名が存在します。

今までも多数紹介してきましたが、
まだまだたくさんある難読シリーズ。

今回のは大阪市西淀川区にある
「御幣島」という駅について
見ていきたいと思います。

普通に読んだら「ごへいじま」
や「みへいじま」ですよね。

難読駅名の一つ「御幣島」は何と読むのでしょうか

そして名前の由来、語源はどこから来ているのでしょうか?

それではさっそくいってみましょう!


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御幣島の読み方は?場所はどこ?

という事でいきなり答えとなりますが、

「御幣島」は「みてじま」と読みます。


場所は大阪市の西の端。

新淀川と神崎川にはさまれた場所にあり、
神崎川を越えれば兵庫県尼崎市に入る

ほぼ県境に位置します。

JR東西線に乗れば
3駅6分で北新地駅に到着するので梅田にも近く

また、同じく東西線で兵庫県側に向かい、
尼崎で山陽本線に乗り換えれば

神戸三ノ宮まで30分ほどで到着できる
とても交通の便が良い場所です。

これほど便利な場所にもかかわらず
大阪の西側は比較的家賃がお手頃な価格だということもあり、

地方から大阪に出てきた大学生や
新社会人など、一人暮らしの若者にも人気のある場所のようです。

御幣島の名前の語源・由来は?

西淀川区のホームページに語源と由来が乗っていましたので
引用してみましょう

むかし神功皇后が住吉神社に奉献された島の中に
幣帛島(へいはくじま)と呼ばれた島があります。

これは三韓から朝貢を運んできた船が、このあたりで難船の危機にあったことから、
この島に姫神を祀ったと住吉神社記にあります。

また一説には、神功皇后が朝鮮半島に向かわれての帰途、
ここで御幣を調整し、国の安泰を祈ったとも伝えられています。

これが御幣島の語源です。

うん、わからん(笑)

専門用語だらけでちょっと理解し辛く感じましたので
一つ一つ見ていくことにしましょう。


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御幣島の由来、歴史文章を分解して詳しく見てみる

まずは
「むかし神功皇后が~三韓から朝貢を運んできた船が」
までの内容を見てみましょう。

神功皇后(じんぐうこうごう)とは

神功元年から神功69年(西暦201年~269年)まで政事を執り行なった
皇后(天皇の正妻)です。

夫の仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)が急死した後
夫の仇とされる熊襲(くまそ)を討伐します。

その後住吉大神(住吉大社などに祀られる神々の総称)の神託により

お腹にのちの応神天皇を妊娠したまま
朝鮮半島の新羅を攻め、降伏させ、

高句麗、百済からも朝貢
(ちょうこう:君主が貢物を捧げ、これに対して天皇側が恩賜を与える)
を約束したました。

これを三韓征伐といいます。

そして御幣島の語源へ。

「また一説には、神功皇后が~」
が御幣島の由来となります。

朝貢の約束を結び、貢物という形で朝鮮半島と
貿易をおこなうことになった神功皇后は、

その帰りに立ち寄った島で御幣(神道の祭祀で用いられる道具)を調整し
国の安泰を願ったとのことで、
その島が御幣島となったというのが語源だと書かれています。

御幣とは一般的には(ごへい)と読まれますが、
それが「みへい」になり「みて」と訛っていったようです。

また御幣”島”と言う名前の通り、
その昔この場所は島だったという事もわかりますね。

まとめ

ということで、今回は

御幣島とはどんな場所なのかという所から、
語源にまつわる歴史までを見てきました。

以前紹介した他の地名や駅名の由来もそうですが、
古事記や日本書紀に書かれている内容が多いですね。

それほどの歴史を持つ大阪の由来について
今後もさらに調べていきたいと思います。