皆さんは「桂歌丸」さんと言うと何を思い浮かべますか?
「長年笑点に出演なさってコミカルなやり取りで人気のあった人」
や「いつもニコニコしていて柔和」
というイメージではないでしょうか?
しかし、実際どんな方なのかはご存じない方が多いと思います。
そこで今回は桂歌丸について
プロフィールから落語家になったきっかけや、
イケメンだった過去のエピソード等を紹介し、
さらにこれから注目されそうな
歌丸さんのお弟子さんについても見て行きたいと思います。
それでは早速行ってみましょう!
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桂歌丸の経歴は?
![桂歌丸 司会](/wp-content/plugins/lazy-load/images/1x1.trans.gif)
1936年8月14日生まれ A型
出身地 神奈川県横浜市中区真金町(現 南区真金町)
学歴
横浜市立吉田中学校卒業
横浜市横浜商業高等学校定時制 中退
生家は「富士楼」という遊郭で、間近で遊女を見て育っているので、
「化粧術」という珍芸を持っているそうです。
また、漫才も大好きでよく見に行っていたそうですが、
「わがままな自分にとっては2人で芸をするのは無理」
と思ったことも落語の道に進んだきっかけだったそうです
「笑点」時代にはよく花魁姿や女装をしていましたよね。
妙に滑稽でいて、でも仕草が女性らしくて面白かったのを覚えています。
昔はイケメンだった?人気の理由は?
![桂歌丸 若い頃1](/wp-content/plugins/lazy-load/images/1x1.trans.gif)
小学生の頃は都内のクラスの先生に
「落語をやってくれ」と頼まれることもあったそうです。
実はもとは、「古今亭今輔」さんの門下でしたが、
後に兄弟子の4代目「桂米丸」さんの門下に移籍します。
その理由は、当時「芸術協会」で勃発した「序列問題」や
今輔さんは新作派なのに対し弟子の歌丸さんは
古典ばかりを演じていたことにで破門状態になります。
そのため一時期はポーラ化粧品のセールスマンに転職します。
しかし、橘ノ圓さんの肝いりで落語界に復活することになります。
そのときに今輔さんがつけた条件により桂米丸門下になります。
歌丸さんの著書によると「初日と中日には必ず今輔宅に顔を出すように」
と言いつけられたのだそうです。
そのおかげで、ほぼ破門前の状態まで関係を回復できたのだそうです。
結構わがままで、破門されたようですが、
実力があったからこそ周りが協力して
復活させてくれたのでしょうね。人望は厚かったのですね。
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お弟子さんはこんな人たち!
![桂歌丸 お弟子さん](/wp-content/plugins/lazy-load/images/1x1.trans.gif)
その中でも有名な方、芸達者の方をメインに紹介していきます。
桂歌春さん
師匠は2代目桂枝太郎さんでしたが、死去したことで歌丸師匠の門下になったそうです。
見た目は優しそうなお顔ですが、毒っけが強いことで人気のあるお弟子さんです。
たまにテレビ出演もなさっているのでお弟子さんの中では一番顔が知られていらっしゃるようです。
得意の噺は「妾馬」(八五郎出世)、「短命」(長命)、「鮑のし」
3代目 桂枝太郎
初代は上方で人気のあった落語家で、2代目からは東京で活躍していた。
桂歌丸門下にいながら唯一「歌」の字が入っていない最後のお弟子さん。
2009年に「桂 枝太郎」の名を継いだ人物です。
得意な噺は、「アンケートの行方」、「狂言マジック」、「ぼくの夏休み」
など新作噺(オリジナルの噺)が多いです。
桂歌助
時代劇画付きな方には2000年代の「水戸黄門」に「先達歌助」として準レギュラー
で出演されていたのでご存知の方も多いと思います。
歌丸さんの初の直弟子です。
古典落語を演じることが多いようです。
桂歌若
ゲーム好きで有名な方だそうで、舞台「サクラ大戦」の大喜利を担当したそうです。
21世紀はじめて真打ちに昇進したことでも有名です。
まとめ
桂歌丸さんについてまとめてみましたが、いかがでしたか?
笑点の顔しか知らない方が多いと思います。
ですが、落語家としてはお弟子さんを沢山抱えていらっしゃいます。
また若い頃からご病気に悩まされていて大変苦労なさっていらっしゃるようです。
しかし、病気とともに落語を続けていらっしゃる姿を見るとなんだか励まされますよね。
「二人会」や「落語会」を精力的に続けていらっしゃるのでぜひ生で聴いてみてください。
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